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ルートヴィヒ2世 (バイエルン王) : ミニ英和和英辞書
ルートヴィヒ2世 (バイエルン王)[るーとう゛ぃひ2せい]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
: [よ, せい]
 【名詞】 1. world 2. society 3. age 4. generation 
: [おう]
  1. (n,n-suf) (1) king 2. ruler 3. sovereign 4. monarch 5. (2) king (for senior player) (shogi) 

ルートヴィヒ2世 (バイエルン王) : ウィキペディア日本語版
ルートヴィヒ2世 (バイエルン王)[るーとう゛ぃひ2せい]

ルートヴィヒ2世Ludwig II., 1845年8月25日 - 1886年6月13日)は、第4代バイエルン国王(在位:1864年 - 1886年)。神話に魅了され長じては建築と音楽に破滅的浪費を繰り返した「狂王」の異名で知られる。ノイシュヴァンシュタイン城やバイロイト祝祭劇場を残し、後者には文字通り世界中より音楽愛好家が集まっている。若い頃は美貌に恵まれ、多くの画家らによって描かれた。
== 生涯 ==

=== 即位以前 ===
マクシミリアン2世プロイセン王女でプロテスタント教徒(後にカトリックに改宗)のマリーとの間にニンフェンブルク城で生まれた。3年後の1848年に弟オットー1世が生まれるが、同年に祖父ルートヴィヒ1世が退位し、それに伴い父が国王として即位した。祖父と同じ名を持つルートヴィヒは王太子となったが、父が執務で忙しかったため、彼は余暇をゲルマン神話騎士伝説などの物語を読んで過ごし、それらから大きな影響を受けた。
1863年8月にミュンヘンの宮殿で、プロイセン王国の首相ビスマルクと会見した。その後ルートヴィヒとビスマルクは対面することがなかったが、ビスマルクは執務室にルートヴィヒ2世の絵を飾るほど好意を寄せ、ルートヴィヒは友情に近い尊敬の念を持っていたといわれる。
ルートヴィヒ2世は近侍させた美青年たちを愛し、女性を嫌忌していたが、自分と同じヴィッテルスバッハ家の一族であるオーストリア皇后エリーザベトだけには、女性でありながら唯一心を許していた。彼女もまたルートヴィヒ2世と同じく堅苦しい宮廷を嫌い、逃避行を繰り返していた。王の将来を心配していたエリーザベト皇后は、自分の妹ゾフィー・シャルロッテを王妃として推薦し、1864年1月、ルートヴィヒはゾフィーと婚約した〔R.ミュンスター、p.88。〕。挙式はルートヴィヒの誕生日の8月25日と決まったが、まず10月12日に延期され、さらに11月28日へと再延期された〔R.ミュンスター、p.88-89、96。〕。ゾフィーの父、マクシミリアンは今度日程を伸ばしたら婚約の話は無かったことにすると最後通告を送ったが、ルートヴィヒはこれに立腹し婚約を解消した〔R.ミュンスター、p.96、98。〕。ルートヴィヒのこの態度にエリーザベトは怒りを覚え、彼と絶縁したという。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ルートヴィヒ2世 (バイエルン王)」の詳細全文を読む




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